Hope Connection Newsletter No.46 (1 July 2008)

 

ワーキングホリデーと低賃金就労

 

一橋大学大学院社会学研究科博士課程

(元モナシュ大学日本研究センター客員研究員)

藤岡伸明

 

はじめに

外務省の海外安全ホームページによれば、ワーキングホリデー制度を利用して海外に滞在する日本人はトラブルに遭遇する確率がきわめて高く、在外公館の援護を受ける割合が一般渡航者の20倍以上に及ぶと言われています(1)。その大半は金品や所持品を盗まれる窃盗被害のようですが、なかには「麻薬の所持」や「ガールフレンドへの暴力」、そして「不法就労」によって逮捕されたり国外退去処分を受けたりする人もいるとのことです。

 

このようにワーキングホリデー渡航者(以下、「ワーホリ」と略)は犯罪やトラブルに巻き込まれるリスクが高いのですが、そのなかでも「公然の秘密」として多くの人が関与している「犯罪」の例として、違法な低賃金就労をあげることができます。たとえば、2007年7月19日付のThe Age紙に掲載された記事(2)によれば、パースの日本食レストラン「S」は、2人の日本人従業員を「時給8ドル」という違法な低賃金で働かせたとして告発され、結果的に6000ドル以上の未払い賃金を2人に対して支払うことになりました。また、この告発を行った豪州労働組合評議会(ACTU:Australian Council of Trade Unions)は、「今回の事例は氷山の一角に過ぎない」という見解をホームページ上に掲載しています(3)。このような見解は現地日系コミュニティにとっても真新しいものではなく、『日豪プレス』の2004年11月号の記事では、「不法就労を容認してきた形の現地日系社会も再考を迫られている」という問題提起がすでになされています(4)。

このように、違法な低賃金就労は、多くの在豪日系人にとって「周知の事実」であり、長い間その解決が求められてきました。しかしながら、この問題について本格的な調査や議論が行われた形跡は残念ながらなく、口コミやインターネット上でかすかに情報交換が行われている程度というのが現状のようです。そこで今回は、筆者が行ったワーキングホリデー調査(5)の結果を参照しながら、この問題について考えてみたいと思います。

 

オーストラリアの最低賃金制度と税制

調査結果を見る前に、オーストラリアの最低賃金制度と税制の基本事項についておさらいしておきます。

オーストラリアの標準最低賃金(The Standard Federal Minimum Wage)は豪州公正賃金委員会(AFPC:Australian Fair Pay Commission)によって規定され、現在(2007年7月以降)の金額は「時給13.74ドル」と定められています。さらに、この金額をもとにして、業種・職種・州ごとの賃金水準(Pay Scale)が細かく規定されています(6)。

次に税制ですが、ここでは税制上の「住民」(Residents)と「非住民」(Non-Residents)の区別について説明します。オーストラリアの税制では、「住民」と「非住民」の区別がきわめて重要であり、税率や控除の適用に深く関わってきます。一般的に、「オーストラリアに連続、または通算で6ヶ月間以上暮らし、そのほとんどをある一つの職種で働き、同じ場所に住んでいる者」を「居住者」とみなし、この基準に満たない者を「非居住者」とみなします。ワーキングホリデー渡航者は滞在地や仕事が変わりやすく、生活パターンが旅行者に近いケースが多いため、通常は「非居住者」に分類されます(7)。「居住者」と「非居住者」の税率は表1の通りです。

 

1 「居住者」と「非居住者」の税率

年間所得

税率

居住者 Residents

$1 $6,000

非課税

$6,001 $30,000

6,001ドル以上の所得に対して15%

非居住者 Non-Residents

$0 $30,000

29

$30,001 $75,000

8,700ドル+30,001ドル以上の所得に対して30

 

出所:豪州税務局(ATO:Australian Taxation Office)ホームページ

 

1を見て分かるように、「非居住者」であるワーホリは、すべての所得に対して29%(もしくは30%)の税金が課されます。そして税金の徴収は雇用主が給与から天引きするという形が一般的です。したがって、「最低賃金13.74ドル」から「29%の税金」を引かれた残りの金額(9.7554ドル)が、手取りで受け取る時給の最低額ということになります。いいかえれば、この金額より低い時給で働く/働かせるケースは違法だということです。

 

調査結果の概要

では次に、ワーホリ調査の結果について見てみましょう。メルボルンでインタビューを行ったワーホリおよびワーホリ経験者36人のうち、手取り給与が時給9.7554ドルより低い職場で働いたことのある人は17人でした(これは、たとえば「時給9ドルで1ヶ月働いた後、時給10ドルに上がった」というようなケースも含んでいます)。次にその勤め先を見ると、日本食レストラン(9人)、寿司テイクアウェイショップ(7人)、日本食輸入業者(3人)、日本食材店(2人)であり、日本食関連の職場で多くの違法行為が行われていることは明らかです(8)。今回の調査では、日本食関連の職場で働いた経験がある人は19人だったので、そのうちの約9割の人が最低賃金未満の時給で働いていたことになります。

それでは逆に、最低賃金違反やそれ以外の不法就労が起こりにくい勤め先とは一体どのようなところでしょうか。残念ながら、今回の調査では「グレー」なケース(たとえば「時給10ドルで現金手渡し、給与明細や源泉徴収票の発行なし」)が少なくないため断定的なことは言えませんが、大企業の事務職(日系・非日系にかかわらず)、オーストラリア人を多く雇用している(=移民をほとんど雇用しない)職場、医療・福祉関連企業においては、不法就労が起こりにくいようです。

 

何が問題か――企業、ワーホリ、日系コミュニティ

それでは、このような状況の何が問題なのでしょうか。さしあたり、3つの角度から議論することが可能だと思います。1つは、違法な低賃金で働かせる企業の問題です。一般的に英語力が低く、1つの職場で6ヶ月以上働くことが禁じられているワーキングホリデー渡航者は、オーストラリアの労働市場ではかなり弱い立場に置かれています。そのような人々の弱みにつけこむような行為が許される道理はありません。第2に、ワーホリ個人の側にもまったく問題がないわけではありません。調査の過程で明らかになった事実の1つに、ワーキングホリデー渡航者の無知や準備不足があります。実際、最低賃金制度や税制について十分に理解している人はほとんどいませんでした。ワーキングホリデー制度は便利であると同時にきわめてリスクが高いことは冒頭で述べましたが、そのことを認識せずにオーストラリアへ来る人が多いとしたら、それは大きな問題と言えるでしょう。とはいえ、不法就労にせよそれ以外のトラブルにせよ、ワーホリ個人が対応・解決できることには限界があります。そのため、第3の問題として、日系コミュニティ全体のあり方を問う必要があります。もし仮に『日豪プレス』が指摘した通り、日系コミュニティがこれまで「不法就労を容認してきた」のだとすれば、それはきわめて深刻な問題です。なぜなら、それは日系コミュニティがこれまで「他人の弱みにつけこむような行為」を黙認し、「無知で危なっかしい若者」を放置してきたことを意味するからです。とはいえ、このように言うと、「それは自己責任の問題だ」「自分とは関係ない」と反論する方もおそらくいるでしょう。しかし本当にそう言い切れるのでしょうか。

すでに述べたように、違法な低賃金就労は、日本食関連の職場で集中的に起こっています。この事実は、メルボルンで日本の食材を消費するほとんどすべての人が低賃金就労と無関係ではいられないことを意味しています。メルボルンの住人がレストランやテイクアウェイショップで寿司や和食をオーダーした瞬間、あるいは日本製の醤油、わさび、納豆、菓子……を手ごろな値段で入手したまさにそのとき、「自己責任」「無関係」といった言葉が説得力を失うことを忘れてはならないでしょう。

 

終わりに

日本では近年、非正規雇用で働く若者を中心に、「いくら働いてもまともな生活ができない」人々(ワーキング・プア)が増加しています。その一方で、非正規雇用増加のしわ寄せを受けた正社員が過労死したり過労自殺してしまったりということも起きています。また、女性の社会進出の可能性は少しずつ拡大しているものの、機会均等というには程遠い状況が続いています。さらに最近では、アジアや南米から来た「研修生」を、最低賃金未満の報酬(たとえば時給600円程度)で働かせるという事態も起きています。これらの問題は、日本社会におけるさまざまな差別や不平等(正社員・非正社員間の処遇格差、男女差別、外国人に対する偏見や差別など)と深くつながっており、豊かなはずの日本において「生きづらさ」や「息苦しさ」が蔓延する状況を背後から支えていると言えます。

オーストラリアで生活することを選択した日本人のなかには、日本社会の生きづらさや息苦しさを敏感に感じ取り、そうしたものから逃れたい、子どもたちをそのような環境で育てたくない、あるいはそうした生きづらさや息苦しさを生み出すシステムに加担したくないといった思いを抱いている方が少なくないと思います。社会のゆがみに敏感であるはずの在豪日本人が、新天地と見定めたオーストラリアにおいて、その足元に広がるコミュニティのゆがみに気づかなかったり、あるいは見て見ぬ振りをしたりしているとしたら、それは非常に悲しいことと言えるのではないでしょうか。

 

 

注:

(1)    http://www.anzen.mofa.go.jp/jikenbo/jikenbo30.html

(2)    http://www.theage.com.au/news/National/Perth-eatery-exploited-Japanese-workers/2007/07/19/1184559923878.html

(3)      http://actu.dev.creativefactory.com.au/Campaigns/YourRightsatWork/YourRigh satWorknews/Perthworkersrippedofftothetuneof6200unionscallforbiggerinvestigation.aspx

(4)    http://top.25today.com/topics/news/nat0411/so09.php

(5)    筆者は2007年4月から2008年3月までの1年間、主としてメルボルンにおいて、ワーキングホリデー渡航者およびワーキングホリデー経験者を対象とした聞き取り調査を行いました。この調査では、ワーホリがオーストラリアでどのような生活を送っているか、彼/彼女らがどのような目的や動機を持ってオーストラリアに来たか、といった質問を行いました。最終的に、オーストラリア全体で56人、メルボルンで36人の協力者を得ることができました。ここでは、メルボルンの36人から得たデータをもとに議論します。調査に協力してくださった皆様に、この場を借りてお礼を申しあげます。なお、本調査はモナシュ大学日本研究センターの支援のもとで行われました。

(6)    豪州政府労働環境局(Workplace Authority)のホームページで、業種・職種・州ごとの賃金水準をまとめた一覧(Pay Scale Summaries)を入手できます。

http://www.workplaceauthority.gov.au/graphics.asp? showdoc=/PayAndConditions/PayandConditionsIndex.asp#index12

(7)    ワーキングホリデー渡航者であっても、上記の条件を満たせば「居住者」とみなされるケースもごくまれにあります。また、ワーキングホリデービザからビジネス・学生・永住ビザなどに切り替えると、税制上のステータスも「居住者」に切り替わるのが一般的です。詳細については、豪州税務局ホームページ(http://www.ato.gov.au/)または伝言ネットの特集記事(http://www.dengon.com.au/featured-melb/3940)を参照してください。

(8)    ここでは最低賃金以下の就労だけをあげましたが、これに「Tax File Number Declarationの提出不履行」や「労働時間の虚偽申告」、そして「6ヶ月以上の就労」を加えると、不法就労の全体数はさらに増加します。また、雇用主から給与明細や源泉徴収票(PAYG Payment Summary)の発行を拒否されるというグレーなケースもしばしば見受けられます。

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